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■沖波 |
■1999年10月12日 火曜日 15時29分24秒 |
やはり研究不足だったのではないでしょうか? 帝国陸海軍では、攻撃の方法は研究しても、防御の方法を 研究するのは、卑怯者…みたいな見方があったようですからね。 回避行動でも、事務の専門家みたいな艦長があれほど見事な 回避行動が取れた(ご存知!マリアナの伊勢です)のは、研究の賜物であったと 言えるでしょうし、彗星雷撃機でも、自速を調整することによって、VT信管でも 当らずに攻撃出来たと言う文書を読んだことがあります。 同じ速度で突っ込んでいては、やっぱり弾幕の突破は難しいでしょうね。 でも、大和の時は、低い雲間から突っ込んでこられて、もうどうしようもなかったんじゃないかと 思います。これは、本当に悔しかったでしょうね…。
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