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<257> 私も私見ですが

■沖波 ■1999年10月12日 火曜日 15時29分24秒
やはり研究不足だったのではないでしょうか?
帝国陸海軍では、攻撃の方法は研究しても、防御の方法を
研究するのは、卑怯者…みたいな見方があったようですからね。
回避行動でも、事務の専門家みたいな艦長があれほど見事な
回避行動が取れた(ご存知!マリアナの伊勢です)のは、研究の賜物であったと
言えるでしょうし、彗星雷撃機でも、自速を調整することによって、VT信管でも
当らずに攻撃出来たと言う文書を読んだことがあります。
同じ速度で突っ込んでいては、やっぱり弾幕の突破は難しいでしょうね。
でも、大和の時は、低い雲間から突っ込んでこられて、もうどうしようもなかったんじゃないかと
思います。これは、本当に悔しかったでしょうね…。
mail : <yoshihirom@pep,ne,jp>

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