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<398> 15.5cm三連装砲塔

■天翔 ■1999年11月28日 日曜日 03時03分27秒
 ご質問に分かる範囲でお答えします。

>志賀フリーク高橋さん
>熊野、鈴谷は同型間ながら、条約明け後の着工の為、最初から8インチを搭
>載し、6.1インチは制作もされなかったとの事。
 最上型4隻はすべて15.5cm砲塔を搭載して竣工していたと思います。利根、
筑摩のことではないでしょうか?

>8インチ(20cmであったとの説も)連装砲塔に換装しています。
 20cmだったのは古鷹級2隻、青葉級2隻、那智級4隻までです。以降の艦は20.3cmとなり、前記の艦も後に砲身を削りなおして口径を拡大しています。

>大和に搭載されたのは、最上、三隈のどちらの主砲塔だったのでしょうか?
>また、大淀に搭載されたのは?・・・
 これはちょっと書いてある資料があったと思うので探してみます。

>大淀に同型間の計画は最初から無かった筈です。
 ○四計画で計画された丙巡は2隻で「大淀」と「仁淀」です。後者は早いう
ちに建造中止、解体されました。


 以上より15.5cm砲塔は計20基あると思いますが、うち4基×2隻は大和級、
2基×2隻が大淀級に搭載される予定で余りは8基ですね。結局、使用された砲
塔は大和級2基×2隻、大淀2基×1隻で、余剰の砲塔は15基もあります。
 で、これに答えてくれる資料というのを実は知らないのですが(^^;

 砲身の製造には物凄く手間がかかるので、どこかの海岸砲台あたりに転用
されたと考えるのが妥当かもしれません。ただ、この砲は砲身命数が150発
(?)だったと思うので、予備砲身として保管されていた可能性もあります。

 これは最上級の撤去後か、大和級の撤去後かは知らないのですが(後者の
可能性大)、この三連装砲塔は最大仰角75°、最大射高18,000mの対空射撃も
考慮された砲なので呉地区の高射砲として使われていたようです。もっとも、
射撃の機会は無く終わりました。もし当たれば、B29も迎撃可能ですね。


長文失礼しました。
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<401> 早速のご回答有り難うございます。 <志賀フリーク高橋> ■1999年11月28日 日曜日 04時18分08秒