ご質問に分かる範囲でお答えします。
>志賀フリーク高橋さん >熊野、鈴谷は同型間ながら、条約明け後の着工の為、最初から8インチを搭 >載し、6.1インチは制作もされなかったとの事。 最上型4隻はすべて15.5cm砲塔を搭載して竣工していたと思います。利根、 筑摩のことではないでしょうか?
>8インチ(20cmであったとの説も)連装砲塔に換装しています。 20cmだったのは古鷹級2隻、青葉級2隻、那智級4隻までです。以降の艦は20.3cmとなり、前記の艦も後に砲身を削りなおして口径を拡大しています。
>大和に搭載されたのは、最上、三隈のどちらの主砲塔だったのでしょうか? >また、大淀に搭載されたのは?・・・ これはちょっと書いてある資料があったと思うので探してみます。
>大淀に同型間の計画は最初から無かった筈です。 ○四計画で計画された丙巡は2隻で「大淀」と「仁淀」です。後者は早いう ちに建造中止、解体されました。
以上より15.5cm砲塔は計20基あると思いますが、うち4基×2隻は大和級、 2基×2隻が大淀級に搭載される予定で余りは8基ですね。結局、使用された砲 塔は大和級2基×2隻、大淀2基×1隻で、余剰の砲塔は15基もあります。 で、これに答えてくれる資料というのを実は知らないのですが(^^;
砲身の製造には物凄く手間がかかるので、どこかの海岸砲台あたりに転用 されたと考えるのが妥当かもしれません。ただ、この砲は砲身命数が150発 (?)だったと思うので、予備砲身として保管されていた可能性もあります。
これは最上級の撤去後か、大和級の撤去後かは知らないのですが(後者の 可能性大)、この三連装砲塔は最大仰角75°、最大射高18,000mの対空射撃も 考慮された砲なので呉地区の高射砲として使われていたようです。もっとも、 射撃の機会は無く終わりました。もし当たれば、B29も迎撃可能ですね。
長文失礼しました。
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