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■頼三 |
■1999年12月13日 月曜日 18時47分34秒 |
私も以前に空母龍驤で整備員をなさっていた方のお話を聞く機会がありました。 私がまず聞いたのは「昭和17年8月24日の第2次ソロモン海戦!」でしたが、 その方は笑いながら「私が乗り組んでいたころは、艦爆も艦攻も複葉機でした。」 と答えて下さいました。 太平洋戦争が始まる前に大分空に転勤となり、終戦まで内地勤務だったそうです。 「空母で緊張したのは、2.26事件の時、出撃待機命令がでた時くらいかな?」 とのことでした。 「元軍艦OO乗組員」と聞くと、どうしても竣工から沈没(終戦)まで乗っていた ような錯覚にとらわれてしまいます。
前から疑問だったのですが、海軍内の転勤はどのくらいの間隔で 行われていたのでしょうか? 平時と有事の時では話が変わってくるとはおもいますが、 どなたかご存じないでしょうか?
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