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<521> すまさん! 御願い!!

■志賀フリーク高橋 ■1999年12月21日 火曜日 03時15分22秒
正式訪問はいつですか!? 是非その方にお聞きしたい事があります。私の変わりにお尋ねしてきて頂けないでしょうか? その方が何時から勤務されていたのか、またどの部署であられたかにもより、当然ご存知無い事も有るとは思います。
改装空母の運用方法には非常に興味が有るのですが、なかなか詳しい資料がありません。(すまさんの「各艦艇紹介」にも名前しかないし・・・)

1,大鷹(日本郵船春日丸改造、16年9月竣工)、雲鷹(同八幡丸改造、17年5月竣工)は、ミッドウェイで4隻の空母喪失後、一時期この2隻で「第三航空戦隊(尾翼機番号それぞれA3-2,A3-1)」を編成していましたが、その時期に搭載していた機種は? 私は96艦戦と97艦攻ではなかったかと想像しております。

2,何故1の質問をしたかと言うと、仮にも「航空戦隊」と名乗るからには、敵水上艦艇及び要地の攻撃も任務に想定していたのではないか? となると、艦攻の搭載兵器に航空魚雷、徹甲爆弾も用意されていたのか? 果たしてこれら低速空母の短い飛行甲板(180.24m)から、800kg航空魚雷を抱えた艦攻は発艦可能だったのでしょうか? また搭載機数23+補用4機を、実際に定数一杯搭載していたのでしょうか?

3,18年11月、「海上護衛総司令部」発足後、同司令部配属となり、神鷹(独商戦シャルンホルスト改造、18年12月竣工)、海鷹(大阪商船あるぜんちな丸改造、18年11月竣工)と共に、この4隻で「第931航空隊」と言う対潜哨戒部隊を編成していますが、この部隊は97艦攻の他に93式中間練習機(赤トンボ)を搭載していたそうですが、艦上機型中練はどんな塗装だったのでしょうか? 尾翼機番号は? 搭載機数は? 3式1号磁気探知機が装備されていたという資料は真実でしょうか? 武装は?

4,当時の対潜水艦用爆弾とはどのような仕様だったのでしょうか?

5,これら対潜航空部隊が実際に戦果を挙げた事は有ったのでしょうか?

6,私の資料では、シンガポール出航後、19年9月16日、東沙列島南東にて米潜「バーブ」に雷撃され、翌朝沈没とあるのですが、真実はその方がおっしゃる通り、18日だったのでしょうか?

7,命中魚雷の数については、まったく資料を見た事が無いのですが、何本命中したのでしょうか?

8,被雷後、総員退艦命令が出るまで、どの位の時間があったのですか? 脱出の準備をする時間的余裕は無かったのでしょうか? 当時の帝国海軍の軍艦には、やはり乗員全てに割り当てられる程、救命具など準備していなかったのでしょうか?

8,東京オリンピックに備え、欧州航路向け豪華客船として建造され、「大洋の女王」と称された八幡丸の面影は、多少は何処かに残っていたのでしょうか? (艦長室はそのままだったとか・・・?)

全ての質問にお答え頂けるとは思っておりません。また、時間も限られたものになるでしょうから、当然ながらすまさんの質問を最優先して下さい。
いずれにせよ、実に貴重な方とお知り合いになることが出来て、本当に良かったですね。一日でも長く、お元気でいて下さることをお祈りしたいと思います。
レポートを楽しみにしております。

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