呉市海事博物館 提供
せんかんやまとがしずんだ日
4月7日にお母さんに読んでもらってください
作 中川秀彦
絵 中川賢史朗(小学4年生)
目次
1 ようこそ大和へ!
2 小学校時代
3 中学校時代
4 海軍入隊
5 海軍の生活
6 大和に乗った日
7 出港
8 沖縄出撃
9 大和の最期
10 重油の海
終わりに
お父さんお母さん向け「海軍豆知識」
1 ようこそ大和へ!
「ようこそ大和へ!」
これがぼくが戦艦大和に乗った時に聞いた最初の言葉でした。
どうですか?非常にスマートな挨拶ですよね。背筋をピンと伸ばした水兵がきりっとした表情で敬礼しながら言ったこの言葉でぼくは大和に迎えられたのです。
大きく深呼吸して一歩甲板に足を踏み入れたぼくは、今にも押しつぶされそうになるほどの大きさの主砲と艦橋を見上げて「よーし!ついにあこがれの戦艦大和に乗れた!」と感動で身が震えたことを今でも覚えています。
昭和20年1月12日の寒い日、こうしてぼくは初めてあこがれの戦艦大和に乗り組みました。
戦艦大和は長さ263メートル、高さが48メートル、幅39メートル、重さ73000トンもある当時世界で一番大きな軍艦です。
広島県の呉という軍港から「巡洋艦 矢矧」という軍艦に乗って、沖の島影に停泊している大和に向かいました。
巡洋艦矢矧は戦艦大和の重さが10分の1ほどの大きさの艦ですがその艦でさえ、乗ったときは「わー!すごい大きな艦だなあ」と感動したほどです。
ぼくたちを乗せた巡洋艦矢矧は瀬戸内海のいくつもの島を通り過ぎてついに目指す戦艦大和の停泊している場所へ近づきました。その途端、ぼくの目になんだかハリネズミのような島が飛び込んできたではありませんか。
「とげだらけの変な島だなあ」と思っていたらなんとそれが大和の後姿だったのです。大和は島と見間違えるくらい大きく見えました。
島のように見えた大和
島のように見えた大和
矢矧は静かに大和の横に止まりました。お城の天守閣のように見上げるような高さの艦橋にまず驚き、次に世界一の主砲の長さと大きさに驚きました。
最初に案内されたのは居住区といってぼくが普段寝起きする場所です。わかりやすくいえば自分の寝起きする部屋と考えてください。この部屋は2番主砲のすぐ下にありました。そこにあったロッカーには「八杉」とぼくの名札がすでに貼ってありましたので、「これで今日からいよいよぼくも大和の乗員だ」という意識がますます湧いてきました。
そして次に連れて行かれたのはいよいよぼくの担当する部署です。
戦艦大和の一番高い構造物を「艦橋」といいますが、なんとその中でもさらに一番高い位置にある「測的所」という場所がぼくの配置でした。高さは海面から34mというとても高いところにあったのです。下の甲板にいる人がごま粒のように小さく見えるなあと思っていたところへ先輩から「八杉、ここがおまえの死に場所だぞ!しっかりがんばれよ!」と背中をポンと叩かれながら言われました。
この言葉を聞いた時、まさにこの場所が17年間のぼくの人生を終る場所なんだなと覚悟したのです。
しかしそれは決してつらい覚悟ではなく、むしろ誇りに近い覚悟であったのです。「男に生まれて大和で死ねるのなら本望だ」と覚悟を決めたぼくは短かった自分の17年間を振り返りました。
この物語が本になりました
続きを是非読んでください!!
◆プレス発表◆
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