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■志賀フリーク高橋 |
■1999年12月14日 火曜日 03時39分30秒 |
沖波さん! 次期主力戦闘機の話は、その後20年の世の中の変化(日米貿易摩擦とか)に依って流れてしまったと言いたかったのですが・・・
父上のお話、お察しするに余りあるものを感じました。きっと我が子であるからこそ、言いたくない事もあったのでしょうね・・・ 5年前、ラバウルに、戦中その地で戦っていらした諸先輩と共に、慰霊巡拝の旅に参加させて頂いたことが有るのですが、どの方々にも、我々にはとても想像の及ばぬドラマが有りました。 戦後50年を経た今でも、戦死した戦友の夢を見ない日は一日たりとも無かった、と肩を震わせながらお話しして下さった方もいらっしゃいました。 女を知らずに死んでいった仲間達にと、慰霊碑に花嫁人形を手向けていらした方もいらっしゃいました。 「ツルブからラバウルに撤退中、ジャングルの中で一人はぐれちまって、動く気力も失せ、これで最後と覚悟を決めた。すると、何処からか自分を呼ぶ声がする。見回すと椰子の木陰に和服姿の親父が現てな。手招きされるままに付いていったら原住民の部落に辿り着き、九死に一生を得たんじゃ。戦後、復員して実家に帰ったら、なんと親父はその時に見た和服を着て、仏壇の上の写真に飾られておってのー。わしがジャングルで親父を見た日。その日が親父の命日だったんじゃ。」と言う、不思議な話をして下さった方は、今でもマラリアの後遺症に苦しんでいらっしゃいます。 沖波さん。生きて帰ってきて下さって、本当に良かったですね。どうか父上を大切にして差し上げて下さい。例え敵に向かって一弾も放つ事が無かったとしても、私は沖波さんの父上は英雄だと思います。
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