【決号作戦に対する燃料戦備】
天号作戦により、一時敵の侵攻を防止しましたが、沖縄失陥後はいよいよ本土上陸を決行することが明白となりました。
これより先、我が陸海軍統帥部は、敵の本土来襲に備え、昭和20年初期、次のような決戦作戦を計画、これを決号作戦と呼称しました。
すなわち、
第1号作戦 : 千島、北海道
第2号作戦 : 東北地方
第3号作戦 : 関東地方
第4号作戦 : 東海地方
第5号作戦 : 近畿地方
第6号作戦 : 九州地方
第7号作戦 : 朝鮮地方
これに対する燃料戦備は、あ号作戦発動の昭和19年6月国内燃料持久態勢確立のため、「新燃料戦備」を策定しました。その詳細は省略しますが、ドイツ駐在武官小島少将の情報に基づく松根油の大増産であり、今一つは全国に散在する約4千軒の酒造家を動員することによるアルコール燃料の大増産計画であります。
前者は時の山林局長鈴木一氏(鈴木貫太郎大将の長男)を中心とする全国農業界の動員によるものであり、後者は大蔵省主税局長池田勇人氏を中心とする全国酒造組合の総動員によるものであります。
そして、敵の空襲に耐え得る地下または掩蓋工場とし、小型蒸留生成設備を設計、敵来攻の予想される沿岸後方地区に建設整備する計画で進めました。
この計画は、昭和20年10月以降、各作戦部隊の要求に応じ得るものでありました。この新燃料戦備計画に関する様々なエピソードがありますが、これは省略することとし、本土決戦に備えての新燃料戦備計画は順調に進み、かつ、松根油より生産した航空揮発油の実用実験は、ほぼ完了状況下に終戦を迎えました。