【「緊急戦備促進部会」における燃料戦備説明
― 海軍首脳の終戦への思考について―】
先に述べましたとおり、昭和17年中期より昭和18年後期に至るまで、我が海軍はソロモン方面等の海戦で消耗戦を繰り返し、マーシャル、カロリン方面の防備を怠ったため、米海軍に制圧され、日本の「絶対防衛圏」と決定されていたマリアナ諸島も、あ号作戦に大敗の結果、米海軍に制圧され、日本は完全に丸裸になりました。この重大な局面を迎え、東条内閣は退陣、昭和19年8月19日の御前会議において、「世界情勢判断と今後とるべき指導大綱」が決定され、これに関連してと思われますが、8月下旬、海軍省において海軍次官主催の「緊急戦備促進部会」が開催されました。
この緊急戦備促進部会は、昭和19年6月に制定されましたが、制定後初めて、井上成美次官の主催で開催され、説明者は部課長でなく、戦備担当局員が直接説明するよう指示されました。
当時最も重大視されていたのは、もちろん、燃料戦備であります。私は燃料戦備の直接の責任者として何等粉飾することなく、ありのまま説明しました。要点は次のとおりです。
1. 昭和17年4月ラボール基地防衛のため「ガ」島方面に侵攻以来、
かつ「ガ」島撤退後においても、同方面の消耗戦は続き、大量の貨物船並びにタンカーを消耗し、特に燃料の消費量は膨大であり、昭和19年8月末現在、国内燃料保有量は次第に逼迫しつつあります。
2. 内南洋を敵に占領された現況から見て、国力、戦力の根幹である南
方油田地帯より国内に石油を輸送する海路、すなわち東支那海及び台湾海峡は次第に危険になりつつある。したがって、輸送航路の確保に万全を期していただきたい。
3. しかし燃料戦備責任者として、いつ、いかなる時、南方資源地帯と
の交通が遮断されるやも知れず、万が一の場合を考慮し、ドイツ駐在武官の情報に基づき、農林省の協力により、本年4月より、松根油の開発生産による重油、並びに航空燃料の生産を推進中であります。昭和20年の末頃には戦力化するものと予想しています。(生産計画を詳細説明)
4. 航空機用アルコール燃料については、大蔵、軍需、農商各省の協力
を得て推進中であり、これが増産態勢に入るのは昭和20年10月頃と予想しています。なお、アルコール原料の確保については、特に意を用いています。(生産計画を詳細説明)
最後に、南方油の還送については、最大限の努力を願いたいと要請しました。
この会議には海軍省からは米内大臣、井上次官以下各局長、主要課長が出席、軍令部からは総長、次長以下が出席しましたが、以上の説明は参列者に相当の衝撃を与えたようでありました。その時、兵備局第2課長浜田祐生大佐(海兵47期)が立って、「海軍戦備情況は、ただいま担当者の説明したとおりです。上層部におかれては、十分考慮然るべきであると思います。」という意味の発言をされました。この時、兵備局長の保科善四郎中将(海兵41期)は色をなして一喝されましたが、その心境はわかりません。しかし、一喝されたことは、今日に至っても忘れることができません。
井上成美海軍次官は兵学校長から海軍次官に着任されて間もない時でありましたが、この戦備報告を聞き、終戦を決意されたものと推察します。
米内大臣も井上次官と同様決意されたと思います。
それから、約2ヶ月後、決行された捷1号作戦において、栗田艦隊の判断と決断が不適切であったためか、敵のレイテ上陸を阻止できなかったことが敗戦を決定的なことにしたのは、識者の知るところであります。
なお、緊急戦備部会は、設置以来この日初めて開催され、以後一度も開催されませんでした。