【日本海軍は対米戦争でいかに負けたか】
先の大東亜戦争は対米戦争と言っても過言ではありません。しかしながら、残念ながら惨敗しました。すなわち
1. 艦 艇 損 失 : 約600隻 約200万トン
2. 航 空 機 損 失 : 約2万6千機
3. 海軍関係戦死者 : 約47万4千人
(軍人約33万8千、軍属約13万5千)
これに対し、米軍の艦船、航空機、人員の損失は、日本海軍の1割にも
達せず、戦記等より推察するに6 〜 7%程度かと思われます。
このように、日米間の損失が天地の差であれば、いかに日本の資源や燃料が無限にあっても、絶対に勝つことはできないでしょう。
しからば、日本海軍は何故負けたのかと言えば、様々な意見があります。私が当時聞いた敗因を紹介すると次のとおりです。
1. 米国の軍事評論家その他
(1) 日本海軍は戦闘を知って戦争を知らぬ。
(2) 日本海軍は情報を軽視した。
(3) 日本海軍は海戦時友軍間の連携が適切でなかった。
1.元連合艦隊参謀等の終戦後の所見
(1) 日本海軍首脳人事が適切でなかった。
(2) 日本海軍は驕り症候群であった。
(3) 日本海軍は海戦については良く研究したが、戦略の研究は疎かで
あった。太平洋方面諸島の防備強化を怠ったことはその一例。
(4) 日本海軍は、ハワイ海戦で海戦の中心は航空機であることを実証しながら、大艦巨砲主義からの転換が遅れた。米海軍は航空機時代を敏感にキャッチし、各海戦を有利に展開した。
概ね以上のとおりであります。
私個人としては、日本海軍がなぜ米海軍に負けたかと言えば、それは教育に起因するのではないかと思います。
敗戦後間もない昭和26年自衛隊創設準備のため設けられた「Y委員会」において、防衛大学校をどのような大学にするかという設問がありました。これに対し、一人として陸士的、または海兵的学校にするという意見は全くありませんでした。
なぜならば、敗戦後間もない時であり、敗戦の原因は陸士、海兵にあるという厳しい反省があったからであります。海兵出身の鳥巣氏や千早氏はその著書に「有史以来初めて被占領国となり、米国の庇護の下に辛うじて国民の生命を繋ぐことになる。これは一体誰の罪か。海軍の罪である。」と申しています。
近頃、終戦時尉官級以下の人が「○○精神、○○精神」と申しているやに聞いていますが、果たしてどうでしょうか。
井上成美大将は、昭和11年、時の海軍大臣永野修身大将より、兵科、機関科問題を解決するにはどうしたらよいか研究、報告せよと命ぜられ、次のとおり報告されています。
乃ち、「兵学校をやめ、全部機関学校へ入れて教育すべきであると思う。但し、死について、機関学校は『従容として死に就く』と教え、兵学校は『どんな死に様でも良い。最後まで職務を尽くせ』と教えている。これは兵学校の方が良いと思う。」
以上のとおり答申しています。
(註)詳細は『最後の海軍大将の唯一の遺稿』篠原宏氏(朝日新聞調査研究室主任研究員。)朝日ジャーナルに発表。
要するに、海軍の戦力は、驕り症候群でなく、地道な優れた技術が総てと言っても過言ではなく、科学的、合理的な教育を行うべきであるとの思考であります。
したがって防大教育に就いて、初代校長槙氏は、当時横須賀在住の井上大将の意見、その他により将来予想される科学の進歩も考え、技術的、合理的、誠実な工科大学に決定されたと聞いています。
皆さん方は陸士、海兵と全く違う校風、もちろん良いところは是非取り入れ、新しい防大教育、海上自衛隊精神を持つ国家防衛の任に当たられておられるでしょう。
昭和53年海軍兵学校連合総会が品川のパシフィックホテルで開催された時、当時私が(財)水交会会長であったため、招待され、主賓として一言挨拶を依頼されました。
その会場のメインテーブルに高松宮並びに妃殿下がご出席でありましたが、祝辞の中の一部に敢えて次のようなことを述べました。
「……先の太平洋戦争でアメリカ海軍が大勝を博したのは、アナポリス海軍兵学校に起因すると言っても誰も反対はないでありましょう……」と。
そして、最後に海兵卒業の諸先輩や、二年現役、予科練の人達が、終戦以来国家再建のために努力しておられることを称えました。
私の挨拶後、小島秀雄海軍少将(海兵44期)その他2、3の方から握手を求められたことは忘れません。
私は若い時、「明治維新の大業は松下村塾に起因し、ウオーターローの大勝はイートンに起因す」という言葉を教えられました。
ちなみに、ウオーターローの戦でナポレオンを打倒したウェリントン将軍は、英国の名門校イートン出身であります。
「国家の興亡も人にあり、戦の勝敗も又人にあり」という言葉があります。榎本隆一郎中将(海機24期、元国際キリスト教大学理事長)の恩師である、哲学者であり、宗教家であった河村幹雄博士は、
「教育の他に何者もなし」
と言われました。肝に命ずべき訓であると思います。
長い間の御清聴を深謝します。
(終)