【日本の開戦目的並びに終戦構想】
一国が他国に宣戦を布告する以上、当然のことながら、戦争目的を明示するとともに、いかにして戦いを終結するかを明確にすることは極めて重要な問題であります。
明治末期におけるロシアとの戦いにおいて、支那の倍もある国土を持つ超大国ロシアに勝つことは絶対にできない、したがって、いつ、どのような条件で講和するかは、最大の問題であったと思います。
特にこの戦いにおいてロシアに敗けたら国は潰れ、日本民族は消滅する。
よって明治34年6月第4次伊藤博文内閣に代わり組閣した桂太郎内閣の海軍大臣山本権兵衛大将は、翌35年1月締結の日英同盟を中心に政治、戦略、戦備に万全の計画を推進、中央の指示に従えば、誰が連合艦隊司令長官になっても必ず勝つという不敗の態勢を確立されたのであります。
乃ち、英断を以て、いささか「利かぬ気」の日高壮之丞常備艦隊長官を免じ、東郷平八郎大将と交代させられたのであります。
明治37年2月16日、日露戦争宣戦布告以後、陸海両軍共に善戦、明治38年3月奉天会戦の大勝、5月27日、日本海海戦の大勝を期に、米国を仲介に同年9月日露講和条約を締結されたのであります。
大東亜戦争においても、開戦の目的を明確にするとともに、いかに戦争を終結するかにつき、次のとおり決定したのであります。
すなわち、開戦目的は冒頭に話したとおり
1.
日本の自存自衛を全うすること。
2.
大東亜の新秩序を樹立すること。
次に終戦構想は次のとおりでありました。
1.
日本の自存自衛を確立し、長期不敗の実をあげる。
2.
日、独,伊三国協力して英国の屈服を図る。
3. 蒋政権の屈服を図る。
この内、2.3.を達成すれば、アメリカは戦争継続を放棄し、日本と講和するであろう。
以上のような終戦構想を持ったことは真に不明であったと言わざるを得ません。日米が戦争する以上、世界は2つに分かれて戦うわけですから、仲介する国家はありません。結局最終の勝敗で決まるわけで、日本にとり、全く不運な開戦です。
これは全く私個人の思い出ですが、天皇陛下が、皇太子であられた時、ローマ法王庁を訪問されたことがありますので、開戦後、適当な時にローマ法王に仲介を頼んだら等と思ったこともあります。