【緒戦におけるハワイ作戦】
ハワイ奇襲作戦は、開戦前極秘裏に、かつ、極めて周到に計画実施された作戦であります。昭和16年12月8日、この作戦の成功が報道されると、朝野を挙げての大祝賀でありました。しかし、この作戦の指揮官山本連合艦隊長官に対し、米国の戦史研究家モリソン博士は「……戦略上から見てこれ以上に愚劣な作戦はない……」と評しています。
その理由は、「敵の巨大基地を攻撃する場合は、その基地の兵力はもちろんのこと、その基地のあらゆる施設を徹底的に叩くべきである。日本海軍はハワイ奇襲時、その戦闘力と時間を十分に持っていたにもかかわらず、これを実行せず、引き揚げて行った。これは、戦闘を知って戦争を知らぬ戦である。」と酷評し、更に言葉を続け、「日本海軍指揮官の戦略思想の幼稚さは哀れである。」と決めつけています。
当時、ハワイはアメリカ海軍の前線基地であり、港湾施設、造修、軍需施設が完備し、特に作戦用の燃料500万バーレル(約100万トン)が備蓄されていました。これらに一指も触れず、引き揚げた日本海軍が酷評を受けるのは当然です。
思うに、当時山本連合艦隊長官は、ハワイ奇襲の機動部隊、すなわち、第1航空艦隊司令長官南雲中将は必ず2次、3次の攻撃をしてくれるものと信じていたに相違ありません。すなわち、奇襲部隊が引き揚げてきた時、連合艦隊参謀長宇垣中将は、奇襲部隊の草鹿参謀長に対し、「何故2次、3次攻撃をしなかったか」と詰問します。この詰問に対し、草鹿参謀長曰く「……武士の戦いというものは一太刀浴びせたら、サッと身を返すものである。行きがけの駄賃というものは下司の戦法である……」と答えたと言われています。
これこそ戦闘を知って戦争を知らぬ作戦であると言わざるを得ません。すなわち、モリソン博士の言う愚将とは山本長官ではなく、奇襲部隊の南雲長官であると言うべきでしょう。もしあの時、第2次、第3次の徹底攻撃により、ハワイ前進基地を壊滅したならば、その後の日米海戦は相当異なったものとなったでありましょう。
この大勝により、日本海軍部内に「……アメリカ何するものぞ……」という驕りの精神が生じたように思われます。
他方、アメリカにとっては、ルーズベルト大統領をして「……日本海軍は卑劣極まる。宣戦布告なき、だまし討ちである。卑劣な日本を叩き潰せ……」と国民の闘争心と愛国心を掻き立て、それが巨大な戦力となり、以後アメリカは連戦連勝を続け、日本海軍は惨憺たる敗戦を続けます。
ある評論家が申しました「……ハワイ奇襲の成功は日本敗戦の序曲である……」と。私はハワイ奇襲作戦を回想するたびに、責任者の判断と決断がいかに重大であるかをしみじみ痛感するものであります。