・    西成国際連邦     ・


     オーケストラによる国歌吹奏が演奏されたあと
 「皆さん、今日はさぞかしお疲れになった事と思います、国王陛下も大変お喜びでしたので、お帰りになってどうぞごゆっくりなさって下さい。あす以降のスケジュールは各秘書に伝えてありますのでお聞きください」
 内務大臣フェーペがパーテーをしめくくった。

次の日からのスケジュールは以下であった。
桐生・・・・国立原子力委員会出席、その後発電所見学
前島・・・・国立近代病院見学、各医師の紹介
相原・・・・建設大臣面会
東野・・・・国立電算室訪問
谷 ・・・・大蔵省、国会議事堂見学
森 ・・・・陸海軍見学
本間・・・・陸軍大学訓練学校
北川・・・・国立ヒペリオン大学訪問、海底油田見学
富士・・・・国立物理研究所訪問

 この日以来毎日おのおのの場所に勤務するよう命じられたのである。
 毎朝各豪邸にリムジンがさしむけられての出勤であった。
 報酬は毎日、10万ペリオンであった。日本円にして毎日、約60万円である。とうてい使いきれる金額ではない。いつも家に帰ると秘書が用意していた。
「なんぼもろても使わんかったらただの紙きれや!」本間が吐き捨てるようにつぶやいた。

・     原子力学者  桐生     ・

 桐生はこの国の原子力に携わっている人たちがすごく従順に思えた。本当に自分たちの祖国のために懸命に勉強しようとする姿勢に感動したのである。
 そして各人の責任感の強さがまた桐生の胸を打った。
 1995年日本の北陸でおきた高速原子炉「はんにゃ」の責任問題などは、彼らからすれば信じられない事件であろう。
 彼が西成にやってきたのも、その高速増殖炉「はんにゃ」の事故であった。
 事故というよりはあまりにもお粗末な人災であった。
 当時の冷却用パイプには細心の注意が配られていたにもかかわらずあのような事故になったのには理由があった。検査基準に合格はしていたが耐久性に疑問のあった素材を使っていたのである。
 10年前の1985年にフランスの同じ型の増殖炉「スーパーフェニックス」がナトリウム漏れ事故を起こした時に桐生は口を酸っぱくして、『フランスの同じ轍を踏むな!』と主張したのが全く聞き入れられなかったのである。
 このことはたずさわっていた全員が知っていたにもかかわらず早急に炉を完成させたかったので、運転後のチェックを怠りあまつさえ、事件が発覚した後も偽造の映像等で国民を欺こうとしていたたのである。
 挙句の果てに責任問題となってからはたらい回しで誰も自分でかぶろうとはしなかったのである。
 今、講義室で自分の講義を真剣に聞いてノートをとっているいる彼らの顔を見ているとすべては日本の技術の「おごり」であったような気がしてきた。
 日本人はまだ発生していないリスク管理が弱いだけでなく、事故が起こってからの処置がまるで小学生以下であると思った。


 9人各人のコミュニケーションは、例の専用回線を使って比較的楽に行なえた。
 盗聴していることと、どうせ謀反はできまいとタカをくくっているのとの両方の理由である。
宮殿の内務省内のTV画面では9名全員の屋敷の各部屋に取り付けられたカメラから送られる画像をじっとフェーペが見守っていた。
 それぞれが別々に仕事をするようになって約一ヵ月後、フェーペの提案で9名全員が集まれるチャンスが訪れた。
 日本同窓会なるものを谷の屋敷で開いてくれたのである。
 谷とフェーペは同じ政府の官僚同志ということで始終行動をともにしていた。
 谷は日本の大蔵省時代ににがい経験がある。その事をフェーペは官僚同志ということで高く評価していたのであった。

・     大蔵事務次官 谷     ・

 プラザ合意の後、日本は国あげてのいわゆる「バブル」時代に突入した。
 円高、金利安、原油安のトリプルメリットにささえられて日経ダウは1986年4月1日に20000円ちょうどであったのがわずか3年間で倍近い39800円をつけて大騒ぎをしていた頃、大蔵省から各銀行に対して総量規制なるものを出した、いわゆる銀行の無節操な貸し出しに対しての制限であった。
 この足枷をはめられた銀行は貸したくても貸せないところに対しては系列の住専各社にまかせたのであった。
 当時の地価はうなぎのぼりであったのでその評価の80%の掛け目で使用目的など気にせず、どんどんくだらない使用目的でも融資を実行していったのである。
 その総額は8兆円とも10兆円とも言われていた。
 当時この事に関して事態の重大さに気付いていたのはほかならぬ外人投資家と外資系金融機関たちだけであった。
 「5年以内に起こる、住専問題の処理はおそらく日本人には無理であろう。日本銀行の資本金10兆円を切り崩して充当するより手段がないであろう。」との予測であった。
 彼らはこの予測に基づいてバブルの絶頂期である1990年を境にまるで潮が引くようにみごとに日本から撤退したのである。
 まだそのころは日本の国民が「住専」の住の字も知らないころに彼らは的確に予測しそして行動していたのである。
 谷はこの外資系金融会社の撤退をまのあたりにしながらまだダウが5万円だ、いや10万円だとバカ騒ぎしている国内証券会社、銀行、生保、損保のあまりの腑甲斐なさと戦略の無さに失望しながらも、来るべき住専問題に対して手を打つべく日本銀行の資本金がはたして穴埋めに使えるのか否かの「日本銀行解体案検討会」なるものを大蔵省内に作った。
 にもかかわらず、当の大蔵省内部、日銀内部から、彼は完全に気ちがい扱いされたのであった。
 「谷さん、そんなものは杞憂ですよ。今のままいけばダウは軽く10万円を突破、地価も現在の3倍まで伸びますから全然心配するに及びません。むしろまだ貸し出しできるくらいですよ。それにだいたい日本銀行は日本国の中央銀行であり、また発券銀行ですよ。そこの資本金を切り崩すという事は日銀の倒産を意味する。そんなことが現実にできますか?あまりにもバカげてますよ。」
 「そうだ議論にならんよ、まったく。」
 「私もそう思います、人騒がせもいい加減にしてほしいな。」
 「しかし実際イギリスの中央銀行である、イングランド銀行が倒産した例もある。あの時もイギリスはバブルの終焉期だった。つまり自国のバブルのツケをきっちり中央銀行がケツを拭いたんだ。今回の日本もそのくらいの覚悟で臨まなければえらいことになるんだぞ!青い目の連中を見てみろ、なぜ絶頂期のさなかにわざわざ日本から撤退してるんだ?彼ら外人アナリストたちの予測を一回でもまじめに検討した事があるか?」
 「やれやれ、何かに取りつかれているようだなあ。」
 「まったく」
 「ばかばかしい」
 真っ赤な顔で机をたたき、口から泡を飛ばしながら激論する谷を出席者全員が冷たい目で見ていた。
 日本国民の誰もが「住専」という言葉を知るようになる5年前であった。
 フェーペはその後の谷のとった行動を素直に賞賛しており、日本の住専問題に関しての処理として臨時国債10兆円分をヒペリオンが引き受ける話を彼と秘かにしていたのであった。
 いわゆる「オイルダラー」というやつである。
 毎年決まって噂になる「オイルダラー」とは産油国が何10兆円という自国の余剰資金の投資先を日本の上場法人などに比較的安い金利で貸し付ける金の事である。
 兆円の単位を越えて金を持っている者にとっては日本の上場法人は安心して貸し付けができる唯一の対象先であったのだ。たとえ年利0、5%でも当然の事ながら安心度を優先させていたのである。

・    ガーデンパーティー     ・

 谷の屋敷の庭に全員が揃ったのは夕方6時くらいであった。
 例外なく全員が日焼けしていた。
 「まいど、ひさしぶり!」
 「元気か?」
 「ぼちぼちでんなあ」
 「坊主、ちょっと肥えたんちゃうか?」
 「森のオヤジ、毎日やりまくってるそうやなあ。」
 「誰や!そないな噂流しとるんは?」
 9名はガーデンパーテーの中、話がはずんだ
 「どないや仕事は?」
 「いやとにかくすごい設備ですねえ、日本顔負けだ」
 「こちらの研究施設も世界的規模だぞ」
 「病院の設備もピカイチやで」
 谷の秘書が運んできた特上ワインで乾杯したあと。
 「ところでみんな、どない思う、今日は忌憚のない意見をいってくれ。たぶんフェーペのおっさんもこれが目的だろう。どうせどこかで聞いているに違いないんや。」
 「まず、やっこさんたちの真意を知る事が先決やろ、口ではうまい事言っとるが、本当にわれわれにあの施設を任すつもりがあるんやろか?」
 「単なる成金趣味じゃあないのか?たしかにヒペリオンの国力とわれわれの頭脳があれば第2の日本がつくれるが・・・」
 次々に運ばれてくるシーフード料理を頬張りながら
 「一回だまされたと思って一肌脱ぐか、あくまで徹底坑戦するかやな。」
 「われわれの扱いはともかく、あとの200名が心配やわ。」
   「いやいや連中も結構ええ暮らしらしいで、なんせ一流ホテルに滞在やから、中には一生ここにいたい奴もでてきたらしいわ。」
 庭のBGMのボリュームをいきなり大きくしたあと
 「これで聞こえへんやろ。バカヤロウ、いい加減に目さまさんかえ!オレはとにかく戦うで!」とアルコールの混じった本間が叫んだ。
 「どうだほかのみんなは・・・」と桐生
 「反対はないんだな、という事は徹底交戦でいくぞ、いいな?」
 北川が一瞬目をふせたのには気が付いた者はいなかった。
 「よっしゃ暗号表を配るから各人目をとおしてや、なあに皆さん方の脳味噌なら大丈夫や、読んで暗記したならすぐに燃やしてや。これからは電話の内容はこの暗号で行なうようにな。基本的に徹底してヒツジの皮をかぶっとく事や。以上!」本間はみんなの意志を確認したのち、上機嫌で言った。


 フェーペから各秘書のもとへ、毎日通達が届いていた。
 「9名各人の考え方を逐一報告するよう。ヒペリオンに対しての忠誠心を10段階で評価したものを毎日送れ、それと生活態度の報告を忘れずに、おまえたちが一番心を許すような存在となるように。態度、言動に不寝な点があればどんな些細な事でも報告するようにしてくれ。」
 この時の本間は忠誠心0であった。北川は9であった。
 日がたつにつれ9名の忠誠心は全員7以上になっていた。
 本間もまたそうであった。

                                 続く....



まだ続きを読みたい奇特な方はこちら

いいかげんに元に戻りたい方はこちら