16億 ぎりぎりの夜討ち朝駆け
4月25日 午後11時30分 実際にあった話である。 当時では一週間のうち早く帰れる日(9時以前に帰れる日)というのはほとんどなかったように記憶している。 「さあ!今日中(午前零時という意味)に仕事を終わらせて帰ろう!」という営業課長の声はしょっちゅう聞いていた。 一番迷惑なのは、客でありその家族の方である。 当時はまだ携帯電話なるものは、あまり普及していなくて(自動車電話はあったが・・・)、夕方以降に、客をつかまえるためには自宅に電話をかけるしかなかった。 このケースは相手の寝込みを襲い、「早く寝たい」という気持ちと判断力のにぶさにかまかけて一気に注文をとってしまうのである。 非常識な時間にかける事で叱られる事はあっても、後述の酒の席でのように「言った言わない」の論争にあまりならないのがミソである。 逆に恐いのは夜遅く寝る客に電話した時である。 むこうはヒマなものだから、ちょうどいい話相手とばかりに「今、ニューヨークの為替はいくらだ?」とか「ロンドンのワラントはどうだった?」とかとにかく商売にならないとりとめのない話に付き合わされる。 これには本当に閉口する 机のむこうでは営業課長が「早く電話をおけ!」のサインを出している時などはどうやって話を切ろうかとこちらが悩む事となる。 夜中の証券マンの撃退方法・・・とにかく自分のペースで具にもつかない事をやたら長々と話かける事。(これに尽きます!!) めんどくさい調べ作業(とくに海外ものは効果大)をたくさん頼む事。
17億 立合銘柄とシステム銘柄
4月26日 午前10時 女性の方には誠に申し上げにくいが、女性客というのはたいてい難しい四字熟語がでてくると、あっさり落城してしまう傾向にある。 男性客の多くは「発行株式数はいくらだ」「信用残をFAXで送ってみせてくれ」とかやたら抵抗が激しいので「おまかせするわ」とまでは決して行き着かない。 知識の多い方の勝ちである。 その話はさておき、このケースの場合「日立」でも「富士通」でも注文は注文であるのになぜあえて太田君は「富士通」にこだわっているか説明したい。 上場株式にはその値決めの方法で二通りの分類がある。一つは「立合銘柄」二つめは「システム銘柄」である。 「立合銘柄」とは、よく証券取引所で各証券マンが手を高くさしだして手話のように指とゼスチャーで銘柄と株数を示しあい、売買を決めていくあれである。 いわゆる今までの普通の株の取引形態の銘柄の事をさす。 以前はすべてこの方式のみであった。 その後コンピューターが発達して株の取引にもコンピューターを導入するケースが非常に多くなってきて、この方式で取引できる銘柄の事を「システム銘柄」とよび、我々証券マンにとっては非常にありがたい存在であった。 なぜならシステム銘柄で売買すればいちいち人間を通じて注文をだす時間が省ける、つまり発注した瞬間にコンピューター内で処理するので取引が成立したかどうかがリアルタイムで確認できるのである。 売買の成立がすぐに分かる利点は二つある、一つは「ある株を売って違う株を買うケース」でまず、先の株が売れた事を確認しなければ次の株が買えない場合にすぐに「売り」が確認できる、二つめはなんといっても手数料がすぐにカウントできるからである。いまのケースの場合は後者で、似たような銘柄の時はなるべく「システム銘柄」を推薦するのである。そのことにより、自分の手数料の把握が簡単にかつ迅速にできるからである。 余談ではあるが、証券会社の机のうえのコンピューターには「セールスマン別手数料一覧」という項目があり常に管理職はそれを覗き込んでは数字のふるわないセールスを叱咤激怒するのである。 「立合銘柄」であれば場では売買が成立していてもその一覧には手数料はすぐにカウントされない、だいたい2〜3時間のタイムラグでカウントされるが、「システム銘柄」の場合は成り行き注文だと発注ボタンを押した瞬間にカウントされて一覧表にすぐ載る。つまり管理職の目にすぐとまる事となりいい顔ができるのである。 今から思えばどっちでもいい話のように思える。
18億 30分おきの達成率報告
4月30日 午前10時30分 生まれてからこのかた、株式市場なんかに笑われた経験はない。 しかし当時は営業課長からそう言われればそんなような気がして必死になって全員が株の注文をとったものであるので不思議なものである。 「木を見て森をみない」と言われるがまさに証券に携わっている人間全員がその状態であったのかも知れない。 営業課長は常に出来高ボードとよばれる大学ノート大の一覧表を持ってわれわれの周りを熊のようにウロウロしながら客に電話しているかどうかを確認している。 電話をせずに株式ボードを眺めているとすぐに「おい、〜さんの あの株上がってきたぞ、20万ほど利益になってるはずだな、電話して売らせろ、そして次の株買わせろ」と非常に具体性を持った命令が飛んでくる。 よくまあ人の客の持ち株からその買値まで憶えているものだと感心したものだ。 証券マンも最後に電話をかける客がいなくなれば、違う支店の同期の仲間に電話して「オイ、たのむわ」といえば向こうも心得たもので「社長!例の1億の話どうですか。」とかいう芝居に「ハイハイ」といって付き合ってくれたものだ。 逆もまたあるからお互いさまであった。 考えてみれば当時の証券会社の電話代の半分は「芝居」用だったかも知れない NTTの株がどんどん上がったはずである 日本のどんな企業もその収益の根幹は営業体である。自動車業界にしても電気業界にしても、どの業界にしてもセールスの売り上げ重視というのはよくわかる、しかし30分おきにいくら売れたかを常に申告、確認させられる業界は世間広しといえども証券業界のみではないだろうか。 いかに常に四社のシェアを意識して、また社内においては支店のシェアを意識してよそに負けたくないと考えていたかが窺える。 そのためによその業界とのモラルのシェア争いに大敗を喫するのであったが・・・ 19億 いつもドキドキ旗振り小僧
6月1日 午前11時 営業マンの先輩後輩の心暖まる会話である。 ここでいう「旗」とは、無理やり申告させられたいわゆるウソの数字の事である。 太田君のように実数5万でも30万と言っている状態の事を「25万の旗を振る」という。 この状態だけでも太田君の心境は「数字をどこで作ろうか」と悩んでるはずなのに、午後1時ともなればまたその上に旗を振らねばならないことになる。 その時の心境を分かりやすく説明すると、例えば結婚相手もまだいないのに、結婚式の日と式場を予約して親族一同に案内状を出してしまった場合を想定していただきたい。 ドンドン式の日が迫ってくるにつれて早く相手を探さなくてはと、やきもきし いる状態である。 式当日ともなれば、そのあたりの駅にでも行って見ず知らずの人に「とにかく理由は聞かずに私と結婚して下さい」と頼むしかない。 これが前出の2時50分の状態である。 それが毎日エンエンと続くのであるから証券マンの精神は並大抵ではない。 株式の手数料と同様に投資信託の募集もまた営業マンたちは「旗」をふる。全くできてなくても「1000万です」とか言わないと帰してくれないものだから、ほとんどが「旗」の集合体の数字となる。 営業課長も自分も営業マン時代の経験からほぼ「旗」とわかっていながらもそのウソ数字の申告を支店長に出すのである。 支店長も自分の営業課長時代の経験から、その数字をウソとわかってても本店に出す。 この虚偽の数字のつじつまあわせのために全員が無理してでも奔走するのである。 ちなみに振った「旗」がうまらない場合(先程の例で言えば結婚式が始まっても相手がいない場合)には「旗をおろす」といっていわゆる「降伏宣言」を出すのである。 これをやるともう支店内では人間として取り扱ってくれないものだから皆これを避けようとして必死にならざるをえない。 「旗をおろす」のは男として公衆の前で局部をさらすようなものだと、筆者もよく先輩連中から言われたものである。
20億 ファンキーな客
5月2日 午後1時 一転して明るい話をしよう。 森先生は駅前の総合病院のオーナーで10億円を預けてくれている、特A客である。 この電話の5分後、私物化された救急車がサイレンを鳴らしながら支店の前にとまり、彼は急いで階段を駆け上がってきたのである。 そのころ支店内は939円がついたS製作所株でワイワイ騒いでいる最中であった ホワイトボードで間仕切りをこしらえ、他の客からは中が見えないようにして各営業マンに祝杯のコップが配られていた。 先生が来たときは994円で全員が「4円!」「5円!」とワインの入ったコップを片手に大声で合唱していた。 「新人にもワインを配ったれや」 「コップが足らないんですよ」 「救急車のなかに検尿の紙コップがあるからあれ使えや、もちろん未使用やから心配せんでもええ」 「996円!」もう大合唱である。向こうのお客さんたちは一体何がおこっているのかホワイトボードの隙間から覗き込む人もいた。 支店長がおもむろに「1000円きっちりの売り指し値はみんなが意識してますので買いがまとまっているうちに998円ぐらいに差しかえしましょう。」という言葉に「いや1000円で売りと最初から決めていたんや、それでええわ」 「7円!」がついた時いきなりY証券から大口の売り物が出てきたのをきっかけにつぎつぎと各証券会社から売り物が連続して結局その日の終わり値は992円で引けてしまった。 「支店長このワインを持った手はどうしたらええねん」 「惜しかったですね先生、明日もう一度1000円に挑戦すると思いますのでいったん回収して、また明日仕切りなおしですね、それとも前祝いでやってしまいますか?」 「よっしゃ、前祝いでパッといこうや!!」 ワインを全員で飲み干したあと肩を落として救急車に乗りこむ先生の後ろ姿を私は一生忘れないであろう。 その後S製作所が千円をつける事はなかった。 |
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