41億 新入りがよくやる銘柄、株数違い
7月1日 午後10時 これはもう笑える限度を越えている。日本の株式市場をかけての大チョンボである。 株式の売買は普通最低1000株からである。中には例外もあって、例えば電力株は100株単位ソニ−も100株単位と決まっているが銘柄の数は少ない。 NTTはご存じのとうり1株単位であるがつねに1000株単位で売買している感覚からのミスである。 客が間違って1000株と言ったのか単に押し間違えたのかは定かではないが、いずれにしてもなりゆきでNTTを1000株というのは市場に大きな影響を与えるに十分なロットである。 この日の朝からNTTが理由もなく買い気配でスタートしていて、他の営業マンもなにかNTTに新しい材料がでたのかどうか真剣に討論していた矢先の事である。まさか震源地がすぐとなりであろうとは夢にも思わなかった。 NTTの1000株はふつうの株でいう、100万株に匹敵する。どんな株でも百万株で成り行きの買いを出せば、自然に売り物が引っ込んで値段がつかなくなり、いわゆる「気配値」だけが、どんどん上がってくるのである。 この結末は、結局買い注文の取り消しをしたが間に合わず1000株のうち340株が買えてしまったのである。それを100店舗で割って4株ずつ各店ではめこんで終わったのであるが、なんとも心臓に悪い一日であった。 しかし冷静に考えると彼は新人ながら全店を巻き込むほどの「仕切り」をやっただけのことではあるが・・・ 株数間違いの他に新人がよく間違って悲鳴をあげるものに、「銘柄間違い」なるものがある。たとえば客が「ニッコウ」といえば「日本航空」と思うが「日本鉱業」もある。「ニチロ」といえばそのままの「ニチロ」もあるが「日魯漁業」もある。 よくやったのが「明治製菓」と「明治乳業」で こちらは当時の株価まで似たようなものだったのでさらにややこしかった。 余談として当時からの風潮で企業のCI(コーポレーション・アイデンティ)のため英語三文字の企業がふえた。 そのためかなり年配の投資家の中には何度言っても持ち株を覚えてもらえなかった経験がある。 「えーっと、社長の銘柄はTDKが5000株、NTT10株、新規のSMCが1000株、NKKが3万株、今日売ったKDDが2000株です。わかりましたか?」と何度いっても「もうようわからんから、まかせるわ。」となって「以外と英語三文字ばかりでいけば、まかされ客が早くできるかも・・・」とよからぬ作戦を考えたほどであった。 株は日本名に限ります!!要注意!!
42億 出来てしまったB伝票
7月7日 午後3時半 このあと太田君が株注ボックスで見つけて大声を出すのは、先週からもらってるB伝票の注文であった。 株注ボックスとは、顧客からの注文を受けた時に書く注文伝票(ペロという)をまとめて営業マン別に入れておく箱のことである。 ペロには二とおりあって、赤いのが「買い伝票」、青いのが「売り伝票」である。 よく「赤ペロ」「青ペロ」と呼んでいた。 そして株の注文の仕方にも2通りあり、今日一日だけの注文と、今週一週間ずっと出し続ける注文である。 後者の注文を受けて書いた伝票が「B伝票」という。 このB伝票は株注ボックスの中でも、専用の別の所に入っている。 実は太田君、この週の火曜日の朝、客から「B伝票」の取り消しを受けていたにもかかわらず、その処理をしてなかったのである。 本人は取り消しの意識であるので手数料は当然読んでいなかったためこのような「うれしい」大慌てとなった。 大体証券マンはその日の客から貰った注文は、値段まで全部憶えているものだ。 そしてボードの中で、お目当ての銘柄のところをジッと見つめて、指し値の金額近辺になると大声を出しはじめるのだ。 しかし一週間の注文全部ともなる、なかなか憶えきれるものではない。多い時でペロが一日に50枚ぐらいあった時がある。もちろんその内の全部が売買成立するのではなく、成立しなかった注文は明日また出すかどうか確認するのである。 買えてしまった株の結末は例の「公衆便所」にはめこみ無事終了となった。
43億 嬉しい半分迷惑半分の付け玉扱い
7月6日 午後2時 太田君は場中に外出できる喜びと手数料が五十万できたうれしさでいっぱいである。 がしかしこれから行く川村先生のところで試練が待っているのも承知である。 このような川村先生のような客を「付け玉」とよび新規開拓時から支店長と同行しておとした客などで、預かりが多い金額のばあいは、相手の安心感を呼ぶ目的から毎日の株の注文は支店長でやる。 しかしその受け渡し業務や、相場の説明は自分でやらなくてはならない。 そこで双方の思惑の違いがあり、そのミゾを埋める仕事が発生するのである。 まず客先に着いての第一声が「あれ、太田君だけ?支店長は?」とこうくる、「いや支店長は、場中で出られませんので私が来ました。」 「そうか・・・しかし太田君どう思う、今日の日立も半分無理矢理っぽい形で買わされたんだよ。前の武田薬品もそうだし、それですいませんと持ってきた銀行の転換社債も全然ダメじゃないの。少しは儲けさせる気はあるの?」 「全くありません、先生はみんなから、公衆便所とよばれてます。」と心の中の雄叫び。 しかしこんなことを言おうものなら即殺されるので決して口には出さない とにかく管理職はわれわれ営業マンの取ってきた客の中で金額が大きく扱いやすいと判断すればほとんどが自分等の裁量で売買してしまうのだ。 そして今の例のように、ややこしい説明とか肝心の受け渡しだけが営業マンに回ってくる楽しいシステムである。 そこでたいていの客は、ここぞとばかり不満材料をこの哀れな営業マンにぶつけるのだ。 この時の震度を体感して、帰って支店長に報告する。 震度3までの弱震であればそのまま。 震度4から6まで(強震)であれば営業課長を伴ってもう一度訪問して、再度の説明が司令される。 震度7以上の烈震であれば、支店長みずから夜の接待をしていわゆる「寝技」にもちこむ作戦であった。 44億 爆笑、証券ルールマージャン
7月7日 午後7時 雀荘にて マージャンを知らない方にはちょっと退屈な話ではあるが、証券マンは毎日人の金で勝負を張っているせいか、勝負事、特にマージャン好きが結構多い。 それも好きなやつはトコトン好きである。 徹夜でも何でもOKである。朝5時までやって、2時間ほど公園のベンチで寝てから、7時半に出社する事はざらにあった。 「手四(てし)」「クイペーコー」「カブ」「チョロ」「ワレメ」これらは証券マージャンのルールであるがまあとにかく無茶苦茶な理屈であるので説明すると。 場は普通は「東南まわし」であるが「東まわし」のみ、すぐに相場に戻れるように時間を短縮したのである。 つまり連チャンが無いかぎり親は一回しかない。 東一局、すでに親ギメでサイコロを振る時から熱い勝負が始まっている。 もしサイコロの目の合計が9であれば「カブ」といって、その場で上がった人に2ハンつく。 そして何の数でも「ゾロ目」であれば「チョロ」といってその場上がった人に1ハンつく。 つまり親ギメの時は二度振りなので二度とも「9」が出て、親が決まった一発目のサイコロもまた「9」であれば何と東一局で6ハンつくことになり、たとえ平和のみでも「ピンフ、6ッパツ!ハネマーン!」となる。 それが「ワレメ」からでるとさらに倍の点数になる。 「ワレメ」とは、サイコロをふって山を取り出したところのプレーヤーが上がれば倍貰え、逆に振っても倍払うルールである。 であるからたいがいの勝負は、東一局で決してしまう。 「手四」(てし、と読む)とは、同じ牌を手の中で四枚あってなおかつカンせずに例えば、333、345と使う場合で1ハン役である。 「クイペーコー」は手の内にイーペーコーがあればあとのメンツはなにを鳴いてもいいというルール。 この二つの役をやられたら、ルールを知らない初心者はまず絶対何をやっているかわからないであろう。 いずれにせよ一回の勝負にかかる時間は極端に早い。 東一局で点棒がまだ一回も動いてないうちに一人がドボンしてしまう事などしょっちゅうであった。 一度、当時の営業課長と、「次の一局で来月出るのボーナス全部賭けませんか?」という勝負を挑んだ。 向こうのほうがボーナスの金額がはるかに多いからである。 「よっしゃ、乗ったぞ、いいか次の一局でどんな手でもいいから先に上がった方の勝ちだぞ。後で泣き言を言うなよ。」 「バカヤロウそれはこっちのセリフだ。」と心ので中ほくそえんだ。 結果は、まず筆者が6順目でクイタンをテンパイ、7順目で課長がリーチ。 その時の勝ち誇った顔、「即、振ったら半額で許したる!」 「バカヤロウ、テンパイはおれのほうが先輩だ」と心の中。 8順目、課長の現物を支店長が切った。五マンである。筆者はタンヤオの、二、五マンで受けていたのだ。ゆっくり倒した。 「支店長!ロンです!」その時の課長の顔は永久に忘れない。 能面のような顔していた。 出した相手が支店長だからしかたない。 後日、筆者のところに来て「例の負け分の件だが、キャッシュで払うから半分にしてくれ」だと。 最初からキャッシュ以外なにで払うつもりだったのか・・・ 45億 回顧 帰らない営業マン
7月10日 午後9時 これは筆者の支店の出来事ではないが、このような言葉を最後に7年もたった今でも帰ってこない証券マンがいる。 どこに行ったかは知らないが集金に7年もかかるはずはない。かわいそうに奥さんと当時一歳の子供を残して一体どこに行ったのであろうか。 彼は筆者の同期入社で関西の有名私立大学を出て、まじめ一本の人間であった。 ただ顧客の紹介で某暴力団員の金の運用を失踪する一年前から任されていたらしい。 当然、「年〜%」で回しますなどと、約束をしていたはずであるからその約束ができていなかったり、元本割れなどとなってしまっていてはたいへんな惨事となりうる。 その相手が普通の人であれば「相場がもどるまでもう少し待って下さい。」と言えるが、相手が相手だけに相当本人も苦しんだ事であろう。 とにかくどこかで元気にいてほしいと願うだけである。 この話以外に、東京の支店ではノイローゼになった営業マンが朝、「動物園に営業行ってきます。」といって帰らなかった事実がある。もっともこの場合は本当に上野動物園にいたらしいが・・・ 関西のある支店では建物の五階から飛び降り自殺した女子社員がでたのもこのころである。 文字どおり全員体を張って仕事をしていたのだ。 あれだけ新聞やマスコミに報道されながらも当の社内ではその経緯や顛末、善後策などの話は一切なされなかった、というよりむしろその話題を避けたがっていた感がある。 いったいノイローゼが無くなるような正常な職務に戻るためにはあと何本人柱がいるのだろうか・・・と食堂などでヒソヒソ話あったものである。 |
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