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■志賀フリーク高橋 |
■1999年11月27日 土曜日 02時12分08秒 |
ふかちゃんの参入で大和のことが話題が上がりました。さすが皆さん、大和に話題が及ぶと目の色変わりますねー・・・ そこで識者の皆さんに質問があります。最上、三隈は条約明け後、当初からの予定通り、6.1インチ3連装主砲塔5基を撤去、8インチ(20cmであったとの説も)連装砲塔に換装しています。熊野、鈴谷は同型間ながら、条約明け後の着工の為、最初から8インチを搭載し、6.1インチは制作もされなかったとの事。 質問の本題に入りますが、最上、三隈より撤去された合計10基の主砲塔は、大和、武蔵の副砲塔として、各4基ずつ、計8基使用された訳です。また、大和、武蔵の対空兵装強化改装の際、2基が撤去され、かわりに6基の5インチ連装高角砲に換装されました。 この時点で6基の在庫ができた訳ですが、その内の2基が大淀に搭載された事になっています。大和に搭載されたのは、最上、三隈のどちらの主砲塔だったのでしょうか?また、大淀に搭載されたのは?・・・ 残った4基の使用予定は有ったのでしょうか?大淀に同型間の計画は最初から無かった筈です。 大和、武蔵は超極秘裏に制作された為か、その点を明確に表記した書籍に、いまだ出会った事がありません。「艦隊行動年史」を参照すれば推測できるのかもしれませんが、どなたか手っ取り早くお答え頂ける方、いらっしゃいませんか?・・・ (「お便り・ご質問のコーナー」向きの話題でしたかね? すまさん、ごめんなさい・・・)
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