すごいすごい!それは初耳ですネ! でも、空自って、戦闘機はアメリカ製だと、何式とか付きませんよね〜。それって国産なんでしょうか?
ところで、父の話に興味を持っていただき、有難うございます。 もっとも父は、伊勢に乗っていた頃の話はよくしますが、南方にいた頃の話は、思い出したくないらしく、あまりしないのです…。 いた島は、マロエラップ(タロアとも呼ぶ)です。 島全体が吹き飛ぶと思われるほどの恐ろしい艦砲射撃のあと、上陸を待ち構えていたようですが、結局米軍は上陸せず、飛び石のハザマに置いていかれてしまったわけです。 その後は、たまに爆撃があるだけで、飛行場は常に整備されていたようですが、ごくごくたまに偵察機や大艇が来る以外は、ほとんど何も無かったようです。 補給も、全くといっていいほど無く、わずかな畑を作ったり、それでもトカゲとかは多かったので、何とか生き延びたそうですが、復員の時には、完全に栄養失調になっていたそうです。 オヤジは30過ぎから頭が薄かったですが、これは栄養失調のせいだから、お前たちは大丈夫だ、と言っていました。 確かに、52歳の兄貴も、47歳の私も、今のところ、大丈夫です(笑)。 復員は、空母「鳳翔」が、終戦の半年ぐらい後に来てくれたそうです。 と言うわけで、あまり陸戦隊の話は、今でもしてくれないので、確かに特別陸戦隊と、警備隊の違いなど、僕も聞きたいと思ったのですが、 まだ聞けていません。陸戦隊に関する著作も、ほとんど見かけたことが無いので、何かありましたら、逆に教えて頂きたいと思っています。 実際、上海に言ったときも後詰で行ってるし、そのあとはずっとマーシャルに置き去りにされ、うちの父は、敵に向かって発砲したことが、 一度もありません。従って、終戦まで、アメリカ人を見ることは無かったようです。よって、戦犯事件なども起きなかったのは、ウェーキと違って、幸運だったと言えると思います。 武運が無かったという考え方もありますが、必死で行きぬいて、僕らを生んでくれた父を、少なくとも僕は誇りに思っています。 既に80代半ばにして、未だに毎日煙草をガンガン吸うし、僕が遊びに行くと、タバコを一箱くれます。恩賜の煙草…?? 当然、甲種合格の男子が、煙草くらいで死ぬものか!と、意気軒昂です。 また、何か話しが聞けたら、ご報告します。
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