なおこのご質問に意見がありましたらメールをいただければ幸いです
2001.12.31 私は米国在住の会社員です。 以前より時々こちらのサイトを 拝見差せて頂いております。 もしもどなたか御存知であればと思いお便りさせていただきます。 私の勤務先の知り合いの方(40歳くらいのかた)がその方の祖父について お知りになりたがっています。 その方の祖父は「篠崎三四(さんしと読む)」 と言い、重巡摩耶か妙高乗り組みで昭和19年に戦死されたそうです。 この話によれば、レイテ海戦で戦死されたのではと思われますが、 その知り合いの方曰く、戦死された祖父は「何か長のつく」ポジションにいたと 親類のかたから聞いているそうです。 但し、それが士官なのか、下士官なのか そのような事は全く分からないとの事です。 もしもなにか御存知のかたがいらしゃれば、情報をお願い致します。 miさん 2001.12.10 初めてお頼りさしあげます。 カナダに住む主婦です。 先日日本の父から連絡がありまして、大叔父の13回忌で親戚が集まった際に、大叔父 が戦中に載っていた軍艦の行方を探して欲しいと言って来ました。 大叔父が最後に載っていたのは駆逐艦 花月で終戦後アメリカが持っていったという ことしかわかりません。 現在もどこかにあるのか、又写真を入手することは可能か (インターネットのサイトでの写真も含めて)を調査するように言われているのです が、どうやって探していいものやら。。 もしお手伝い願えるようでしたら、お返事お待ちしています 楓 2001.11.29 初めまして。 ホームページの検索で、たまたま拝見することになり、折角ですので足跡を残していこうとメールしてます。 それにしても非常に密度の濃いホームページですね。 感心しました。 ところで、一言。 「戦争」そのものについて、純粋に賛成とか反対とか、そんな単純なものではないと思うのです。 つまり、このホームページの趣旨に「戦争には超否定派です」という旨を述べられていました。 否定派とはどういうことなのでしょう? それの対語で賛成派というものがあればそれはどういうことなのでしょうか? 否定の上に超までつけるということは、仮に侵略を受けたら「それに甘んじましょう」もしくは「とっとと逃げましょう」ということなのですか? 「どんな理由があってもしてはならない」と書いてあったのでそのように受け取りましたが。 しかしこれはあくまで日本人的な発想なんですね。 つまり「宗教やイデオロギーの違いなんかで戦争するな」とか「国益のために戦争するな」と言えるのは日本人だから言えると思います。 我々にとって最も大事なものは自分や肉親の生命であり、生活であるが、別の国では宗教であり、イデオロギーなんですね。 勿論、人間も動物であり、当然生への執着はあるはずです。 しかし、人間は動物のように本能だけで生きてるわけではありません。 それ故に「使命感」が「生」に勝る場合も出てくるわけですね。 戦後教育を受けた我々には理解しがたいものではあるけども、第二次大戦後も戦争や紛争がなくならないのは説明がつくはずです。 総中流意識が染み込んで、不自由のない生活で暮らしている我々が「皆さん、戦争なんて野蛮です。やめましょう。」といったところで説得力があるとは思えない。 良い悪いは別として、「戦争」はやはり政治的解決手段の一つなんですね・・・と思います。 それにしても日本人っていったい何なんでしょうねぇ。 私は自分が日本人でありながら日本人(世間)の考え方が分からないです。 正直なところ嫌いです。 いつの時代も自己中心的で、卑屈で、お人よし(悪い意味)で、柔軟性が無く、学習能力が無く、極端で・・・・。 戦前、戦中の政治家や軍人、国民、そして今の政治家と国民て基本的にはなぁ〜んにも変わってないんですね。 それでも武士の時代まではプライドだけはあったように考えてますが。 いつも信用されずに孤立している意味がイヤ過ぎるほど分かります。 そう感じませんか? 最近、強烈に憂いを感じるようになってきました。 2001.11.1 偶然このページを見つけましたので、初めてお便りします。 私は.大分県竹田の広瀬神社の近所に住んでいます。 子供のころ広瀬神社で良く遊びました。 広瀬神社にある二代目「比叡」のマストは絶好の遊び場でした。そういうことで広瀬中佐は子供のころから身近な 人でした、最近少し.調べてみましたのでお知らせいたします。 広瀬武夫中佐の資料としては、以下の二冊をお勧めします。「ロシアにおける広瀬武夫 朝日選書」「広瀬武夫全集 講談社」二冊とも絶版になってますが、探せば見つかると思います。 初代軍艦「比叡」ですが、明治11年イギリスで竣工しています。明治20年から30年代にかけて、候補生の練習艦として使われています。広瀬中佐は、少尉候補生としてハワイへ、少尉時代にオーストラリア方面に遠洋航海に行っています。 ハワイから父あてに出した手紙と、オーストラリア方面に行ったときの日記「航南私記」が.、上記の「広瀬武夫全集」に掲載されています。 初代「比叡」の写真は私の知る限り、雑誌「世界の艦船1991年増刊第32集「日本巡洋艦史」の11ページの写真が一番鮮明なようです。 広瀬中佐の資料として、ロシア駐在時代のロシア語で書かれた日記を探しています。ご存知の方おられましたら、このページで結構ですのでお知らせ願います。 2001.8.30 同僚の父君から、唯一の生き残り駆逐艦雪風に最後まで 乗っていたことを生前直接聞きました。 同艦はほとんどの 激戦に参加し、とりわけ大和の護衛をしていた事は有名です。 父君は兵曹長として、艦が米機の魚雷に体当たりして大和を守ろうとしたが、 喫水が浅く艦底をくぐりぬけ大和に命中していくさまを昨日のように話しておられました。 撃沈された大和の乗組員を救うため米潜水艦を警戒しながら微速蛇行し重油の波間に漂う何千という人を見たそうです。 縄に捕まって手を差し伸べ、掴んでも油で滑って何人かの目が合いながら沈んでいく様を悲しそうに回想しておられました。 葬儀は、旧海軍の老軍人たちが参列し 最後は「帽振れ」の合図で別れを告げていました。 悲しい風景でした。 Tさん 2001.8.30 今回私は夏休みの宿題のために、この[wellcomi to kaigun] を、使いました。 非常に見やすくてとても良かったです。 ありがとうございます。 Kさん 2001.8/16 アメリカ人が、旧日本軍・海軍兵士の遺品を返還したいと連絡しています。 南洋諸島で戦死した人で、手がかりとなる部隊名などもわかっているそうですが このような件は、どこのだれと連絡をとればいいか教えてください。 よろしくお願いします。 大阪・Tさん 2001.6/5 このホームページを拝見致しました。 私の兄は帝国海軍の潜水艦の2等通信海曹 として戦死いたしました。 昨年、母が亡くなり、本格的に戦時中の事や、昭和前半の 状況を勉強しております。 以前からとても関心がありましたが、母の痛みに触れたくなくて 敢えて無関心で居るようにしていました。 当時、潜水艦の事は特に、機密であったので戦後、父が何とか消息を知りたいと厚生 省などに、随分 問い合わせていたようですが全く不明のままでした。 この数年の沢山の旧海軍関係の本や資料で色々な事が判明いたしました。 潜水艦は伊41号です。 艦長は近藤信孝中尉でした。 もしも関係の事をご存知でしたら是非教えてください。 では失礼します。 千葉県Oさん 2001.5/26 今朝の報道によると敵空母バンカーヒルに見事突入した爆装零戦2機の内の1機予 備学生出身の小川少尉の御遺品が驕敵米国より返還されたそうです。 御遺族や同期の 皆様が大勢ご健在なのが何よりです、確か小生の文春の特攻記録ビデオに突入の瞬間 が納められていると思いますので今夜確認してみます。 ネービークラブ くろがね 2001.5/25 件名 : 東京のAKさんへ 私の覚えている略号下記の通り フ・フ・フ 我れ不時着する フシ・フシ・フシ・ 不時着するやも知れず フネ・フネ・フネ 付近に船あり フヨウ・フョウ 救助必要なし カレ・カレ・カレ 帰投せよ モ・モ・モ 潜没潜水艦発見 666 左に向かへ 777 直進せよ 888 右に向かへ 元海軍飛行兵 2001.5/21 はじめまして、フジテレビのYと申します。 ホームページを見させて頂きました。 ただ今、戦艦大和に関する企画を計画中で、 大和について勉強中です。 もし出来ましたら、何かしらご協力いただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。 7/20に会合があると聞いたのですが、 一度お邪魔させて頂くことできませんでしょうか。 フジテレビ 第一制作 Yさん 2001.5/17 私、只今ネービークラブ21ノ静岡懸支部長ヲオアズカリシテオリマス。 コノ組織ハ帝都ニ本部ヲ置キ代表ハゴ存知アノ山口多聞提督ノ御子息、山口宗敏氏デアリマス、活 動状況ハ又折折發信致シマス。 ネームハ、くろがね ト願ヒマス。 2001.5/16 大叔父も大和に乗っていまして機銃射撃手をしていたそうです 沖縄特攻には長男だったので行かずに済んだそうですが・・・・・ 話は変わりますが 旧海軍の資料映像等のビデオって 発売されているのですか? 一回見てみたいのですが 教えてください! Kさん 2001.5/12 初めてお便りいたします。東京のAKと申します。 貴HP大変面白く拝見させて頂きました。 モールス及び電信で教えていただきたい事が有るのですが、参考出版物もしくはH P等をご存じであればお教えください。 質問は海軍の(陸軍もでしょう)電信略文についてです。 トツレ トツレ トツレ トトト トトト トトト セセセ セセセ セセセ などは当職も知っておりますが、その他でもかなり広範囲で日常的に用ゐてたであ ろう電信略文を調べるべく文献を探しております。 ご存じのことあればお教えください。 宜しくお願いします。 東京AKさん 2001.5/2 こんにちは。 先日メールしました、sです。 あれ以来がんばってモールスを覚えています。 そこで一つご質問があるのですが・・・・ イロハ・・・・・と英数字はどうやって区別するのでしょうか? 教えていただけたら幸です。 その後、友人に貴殿のページをみせたところ 陸軍の偵察機のデータはないの?ときかれました。 お父様が偵察機に乗務していたらしく、知りたいということでした。 いろいろ探したのですがわからなくって、もしご存知でしたら 教えてください。 友人は貴殿のページの遺書を読んで、涙してました。 当然わたしも・・・・・・・・ 私は一度、父とともに、靖国神社の資料館に行ったことがあります。 私は今東京在住なのですが父が上京したとき、是非行きたいと 申しましたのでいきました。父は、岩手に住んでおりますが 色々な展示物をみている姿がとても印象的でした。 私たちには解らないものを感じていたんでしょう・・・ お便りのページで貴殿を批判しているメールもありましたが 私はそれは違うと思います。 今、平和だからそんなことが言えるのであって、その時代は どうすることも出来なかったと思います。 その時代にその人のメールの内容を言ったらどうなることか。 皆、苦しく悲しみもあります。 あさはかなメールにがっかりしました。 いまの平和を創って下さった方々の真実を伝えるのは当然です。 と、わたしは感じました。 長々と申し訳ございません。 ところで、オフ会も開催しているようですが、いつどこでやっているのでしょう? 機会があったら是非出席したく思います。 またメールします。 では、また s(44歳、女性)でした 2001.4/30 以前新宿に潜水艦という軍歌酒場がありましたが、今もあるのでしょうか? ほかにも 似たような店があれば、ぜひ教えてください。 Yさん 2001.4/29 突然ですが、「海軍さんのカレー」をご存知ですか? 私はとある大学の日本史学専攻の大学院生で、「海軍さんのカレー」というHPを運営 しています。 ネットサーフィンをしている最中に貴ページを発見いたしまして、もしも「同好の 士」であればご興味があるのでは、と思い突然のメールを差し上げた次第です。 海軍さんのカレー http://www.rakuten.co.jp/kaigunsan/ がURLです。 来月に迫った「海軍記念日」五月廿七日を盛り上げるためにも、横須賀市を中心に今 さかんにPR活動を行っています。その中にはプレゼント企画も含まれておりますの で、ご興味がありましたら、ぜひ! 海軍記念日プレゼントページ http://www.rakuten.co.jp/kaigunsan/445053/ では、突然のメールの上に長文失礼いたしました。 Sさん 2001.4/26 前略 こんにちは。 私は、モールス信号とは、まったく無縁の者なのですが・・・・・ ついなつかしくなって。 今から15年ぐらい昔になるんですが、私の友達が、自衛隊にいたことがあって そのひとは、通信関係の仕事をしていたそうです。 もちろんであった時は、別の仕事でしたが、その子からモールス信号のことをいろいろ聞いて 興味を持ちました。 それからは、忘れていましたがふと思い出しサーチしてみたらページがあったのでうれしかったです。 モールスの覚え方は傑作です。 今、私がおぼえているのは、 トトト・ツーツーツー・トトト と トツー・トツーツー の二つです。 わかりますよね!!!! トツー・トツーツーは、上司から仕事を頼まれた時にわざといっていました。(クスッ) 日本語が乱れている今、また暗記したいと思います。 それで、まわりをおどろかせちゃおうーーーーー!!! がんばります。 このページは、私のお気に入りに入りました。 これからもがんばってください。 ありがとうございます。 Sさん 2001.4/22 はじめまして、Oと申します。 貴HP本日拝見しました。私は映画評論をしながらK外国語大学短期大学部で講師をやっています。戦争映画を見てたからでしょうか、歴史好きになりました。貴欄の掲示板2000.1.8欄の福山市I 様が書かれた井上成美の本についてお尋ねです。あなた様の電話番号お教え下さい。 Oさん 2001.4/21 主旨、お読みしました。 全くそのとおり、共感いたします。 御願いがあります、加賀と赤城を同型艦に分類するのは、再検討していただけませんか。よろしく御願いします Nさん 2001.4/16 八杉 康夫 様 突然のメール失礼致します。 私は、「鎮魂大和の会」という戦艦大和を引き揚げ、それをシンボルとして道徳の郷 を作るという計画の下、活動している団体の者です。 来る六月四日にその発足記念パーティーを予定しておりますので、是非ご出席または メッセージを頂きたいと思い、メールいたしました。 つきましては、ぜひ一度ご連絡をいただけないでしょうか? 戦艦大和に関してご存知のことをお伺いしたいのですが。 お忙しいとは存じますが、どうか宜しくお願い致します。 メールでも、電話でも結構です。御連絡お待ちしております。 東京都中野区 Sさん(女性) 2001.4/13 始めてお便りさせて頂きます。 私はHP「殉国の碑」を作成している、M(44:会社員)と申します。 先般、三ヶ尻勉様とメールを通じて知遇の機会を得た所、 27日の「大日本帝國海軍」関東方面軍のオフ会にお誘いを受けました。 当日、始めてというのも何なので、一言ご挨拶させて頂きたく、 メールを送らせて頂きました。 私の父は海軍兵学校73期の出身で、峯 眞佐雄(77:健在)と申します。 海兵を卒業後の経歴は、航空母艦「瑞鶴」−人間魚雷「回天」です。 昭和20年8月6日、本土決戦を期して千葉県の前線基地へ出撃。 しかし「回天」が基地に届く前に、終戦を迎え生き残りました。 私は、父の影響を受けて幼少時代を過ごしました。 また、父の書架にある軍人会の会報や、戦友の手記を読んで育ちました。 普通の若者が武運拙く戦死し、戦後は顧みられない事実を沢山知りました。 子供を全部喪って断絶した家庭もありました。 父が戦友の遺族を訪問した時、「お前だけ生き残って・・・」とののしられたり、 「特攻崩れ」と言われ就職に困ったような話も、いろいろと聞きました。 私は戦死された方々の鎮魂と顕彰を目的として、「殉国の碑」を作成しました。 少しでも戦没された方々のことを、正しく知って貰いたいという思いです。 始めてのお便りなのに、長々と書いてしまいました。 今後のご厚誼を賜れれば、幸甚に存じる次第で御座います。 千葉 Mさん 2001.3/13 私は昭和20年生まれ、それも沖縄の戦線終結の日の生まれです。 父はミッドウエイから、最期はガタルカナルで戦い、無治帰ってまいりました。 もう今は亡くなりましたが。 私の幼少期、父の軍服姿に憧れと、敬意を持ったものです。 戦争はいけませんが、この平和を真剣にありがたく感じ、先人のことを偲ぶ心だけは、日本人であるならばもってほしい。 政治にしても、教育にしても、外圧に翻弄され日本のあるべき姿、教育(万古の昔よりある、わが国の文化)を根底から考え直さねば、わが国の将来は無い。 皆で考えましょう。 再び、戦火の無い国ながら、その大切な心の有り様を。 だれも喜んで、親、兄弟、子を戦場に出したいと思っている人はいません。 名古屋 Hさん 2001.3/11 前略。 細かいことを指摘するようですが、貴方のホームページでは赤城と加賀が同型 艦とされています。 小生の記憶では赤城は当初は巡洋戦艦・天城の同型艦として、また加賀は戦艦・土佐 の同型艦として設計され、ワシントン条約により航空母艦に改装されたものだったと 思います。 であるならば、これら2艦は同型艦とはいえないように思われますが、どうでしょう か? Iさん 2001.3/11 はじめまして。 私は22歳の主婦です。 今日このホ−ムペ−ジを見さしていただいたのは、私の母の父(私の祖父)が、第2次世界大戦中、海軍にいて、母が3歳位の頃、母に早く会いたいと思った祖父が、本当は乗る予定のなかった船に乗り、そこで戦死してしまったとゆう話を聞いたことがあり、私は小さい頃から、この戦争について興味を持っていました。 しかし母はあまり祖父の記憶もなく、長い間寂しい思いをしたせいか、この戦争について話をしてくれません。 祖母も私が生まれる前になくなっており、私が祖父の乗っていた船を知る方法がありません。 もしなにかありましたらぜひ教えて頂きたく思います。 祖父の名は「永野 みつぎ」です。 よろしくお願いします。 Aさん 2001.3/9 こんばんは、はじめまして。 私は鹿児島に住む女子大学生で、H.N 楓といいます。 とあることを調べているうちに、このサイトへ辿りつきました。 海軍の全作戦行動表は大変参考になりました) 実は私、751部隊について探しております。 鹿児島の鹿屋に原隊を置く部隊で、かつて私の大叔父がその 隊に籍を置いていたそうなのです。その後、整備兵として南方の 戦地を転戦し、終戦を迎えたと聞いております。 (大叔父は現在80歳前後で、健在です) その大叔父が辿った道を、私と私の父が追いかけているところでして。 もし他にご存知の方がいらっしゃるのではないかと思い、 今回不躾ながらもメールを書いた次第です。 どうぞ、宜しくお願いいたします。 鹿児島 楓さん 2001.3/7 私の祖父は第一次世界大戦時、海軍中佐で戦艦或は潜水艦に乗っており、艦名は 「不知火」である事は 叔母からよく聞かされていました。 祖父の軍人姿の写真私の手元にあるのです が、叔母が既に91才で 詳細は分かりません。何か、分かる資料とか手段があれば、ぜひ教えて下さい。 よろしくお願い致します。 Nさん 2001.2/21 初めまして。 私はTというものです。 「海軍隠語集」,「海軍式モールス安規」など、楽しく拝見させていただきまし た。 閑話休題。 先日、Aさんという方が貴殿へ痛烈(?)な批判をされていたようですが、どうも 感情的な批判に過ぎないような気がしてなりません。 明らかに「戦争」について表面的に捉えただけの批判であり、貴殿のHP主旨を 理解していない意見であるように思えます。 確かに、仰ることはよく解ります。誰だって命を失いたくはありませんし、災害 などで身内に不幸があった方ならその気持ちが強いのは当然です。 それに、戦争は明らかな悪であり、許されざるものなのですが、ただ単に感情 的になって否定するだけでは話になりません。 「どうしてそうなったか」,「なぜそうなのか」といった考え方をしないと、今後 も 同じように感情だけで判断する人が後を絶たないような気がします。 もっと広い視野で見て欲しいものです。 <追伸> 初投稿なのに、他人の批判めいた事を言ってしまい、申し訳ありません。 ただ、私としては戦争や軍隊を曲解している人々に正しい知識と理解を持って いただきたいだけなのです。 2001.2/18 はじめまして。札幌に住むTと申します。 私は回天にとても興味があり、その流れで予科練を検索中、先生のページにたどり着きました。 以前に読んだ本で海軍言葉がたくさん出てきた物があったのですが、はからずも先生のページの隠語集でその内容がわかってしまい、顔が赤くなってしまいました(笑)。 勉強になりました。また時々覗きに行きます! 寒い日が続きますので、お体なにとぞ大切になさってください。 それでは失礼いたします!応援いたしております。 札幌市 Tさん(女性) 2001.2/18 初めまして。私は横須賀市在住のUという者です。 佐久間大尉の資料の件で、 2000.11.15付けでメールを出されている神奈川県在住のSさんに連絡を取りたいと思 います。 よろしければ連絡先を教えていただけないでしょうか。 横須賀市のUさん 2001.2/18 HPを拝見しました。 戦艦ですか。 もし、あなたのお子さんが、そんな戦艦に乗り、いくさへ向かうなどと言っても平然 としていられますか? これは戦争につかうもので、それは、人の命を絶ち、そして絶たれるものですよね。 一度、自衛隊の駐屯地での花見祭りに行ったことがあるのですが、そこにいた隊員 が、 これで一発やったらものすごいですよ!と、戦車の性能のよさについて興奮気味に 話をしていました。 あなたは幼いお子さんの一命を、奇跡的にとりとめたことがあるのですよね? 大震災も体験されたんでしょう? 愛情をふりそそいで育てた我が子を亡くすのは、病気でも震災でも、そして戦争でも 結局は同じことです。 すべての人に親がいて、幼い子供もいるかもしれません。 やはり、まずは血の濃い身内がその立場にあればどうか、ということを考えて こういうHPもつくってもらいたいですね。 Aさん(女性) 2001.2/12 布哇原潜事故に惟ふ。 昨日 フォウリー駐日米大使が 渡布關係者一行を關空に訪ね 謝罪したとのTV報道を見て63年前の「パネー號誤爆事件」 の事を思い起こした。 あわや米國の對日宣戰布告かと謂ふ危機を 僅か二週間で 圓滿解決をみた裏には 山本五十六海軍次官のグルー駐日 米大使に對する必死の説得と並行して 同じ越後長岡出身の 齋藤 博駐米大使のラヂヲを通じて米國民に對する心からなる 誠心謝罪が預かって効あったと謂はれてゐる。 翌四月660萬圓の賠償支拂で正式決着。 今回の事故は全面的に原潜側に その非あり、米國側がいち早く その事を認めて謝罪する事により 對米宣戰布告の懼は無い とは謂ふものの 情けないのは日本政府の卑屈な態度である。 新聞報道によると「日本國民の對米感情惡化」を懸念しての對應とある。 先ず「國民の生命財産を護る使命」が何にも優先してある事を 忘れてはゐまいか? 水深は550米だと謂ふ。何故 船體の早急引き揚げを強硬に 要求しないのか? 米海軍は何故 船體の引き揚げを躊躇するのか? クルスク事故の時は米海軍も技術支援を申し出 露西亞の對應の遅れを 非難したではないか。 米海軍では技術的に困難なら日本からの技術支援を 申し出るべきではないか。 尠なくとも 何故 引き揚げ作業を 躊躇するのか理由を米側に糾すべきである。 船内に閉じこめられてゐる可能性大、海面搜索を繼續しつつ 早急に引き揚げ作業を開始すべきである。 時間との戰だ。 早急なる對應が俟たれる。 jijoさん 2001.1/27 はじめまして。ウェブサイトを拝見させていただきました。 私は一応日本人なので すが、父の仕事の関係で幼い頃渡米、以来アメリカで暮らしております。 そのため、 日本語が少しおかしいところがあると思いますが、失礼にあたりましたらお許しくだ さい。 実は私の家系は代々武士、軍人ばかりの家族で私の祖父は帝国陸軍に曽祖父は 帝国海軍におりました。 その曽祖父について調べているのですが、もしおわかりに なったらと思いメールさせていただきます。 その曽祖父なのですが、広島の原爆に被爆 して亡くなったのです。 この時彼の乗っていた軍艦が呉に寄港(?)していたという のですがそのようんが軍艦があったのかわかりますか?彼は軍医だったはずで名前は Nakamotoといいます(漢字がわかりません)。 もし何かおわかりになった らお時間のあるときにメールいただけますか?宜しくお願いします。 アメリカ在住 Sさん(女性) p.s. おかしな物で私の主人の家系も代々軍人ばかりなのです。 彼自身米陸軍の仕官でし たし、南北戦争の有名な将軍の末裔なんです。 このままでいくと息子も軍人になるの かと少し心配ですが。 2001.1/21 戦争を否定する教育がいかに間違っていたか、今の世の中が物語っています。 今、勉強しなければならないのは、なぜ戦争しなければならなかったか?というところです。 その背景と、当時の日本人のこころをしっかりと学ばずして、戦争の結果だけをもって批判はできません。 参考図書として、アサヒビール顧問の中条さんが書いた、「おじいちゃん戦争のこと教えて」というすばらしい本があります。 これは、内容、表現等非常に分かりやすく是非おすすめしたい一冊です。 K・A 大日本帝国陸軍大尉(現役)
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