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■志賀フリーク高橋 |
■1999年12月12日 日曜日 14時17分38秒 |
もう20年程前の話、(二昔も前か・・・ 溜息つきながら書いてます)防衛大に行った友人から、2000年に合わせ、主力戦闘機開発を計画中なんだぜ、と聞いて興奮した記憶が有ります。その後の世の流れはご存知の通り。 でも「零式」となると、造る側も結構プレッシャーを感じてしまったりして?・・・ 旧軍の「零式」、「百式」って優れ者が多かったですよね。艦上戦闘機、水上観測機、3座水上偵察機、小型水上偵察機、輸送機、司令部偵察機、重爆撃機・・・ 皆終戦まで戦い抜いた強者ばかりです。
話題を変えて大変恐縮ですが沖波さん。過去のレスを見て、どうしてもお尋ねしたいと思っていた事が有ります。父上は伊勢の五番砲塔員の後、陸戦隊として上海、マーシャルで戦っておられた、歴戦の勇士だそうですね。 ゆっくりお話をお伺いしたくてたまらないのですが、その中でも、特に私の興味があるのが、マーシャルでのお話です。何という島に居られたのですか? クェゼリン玉砕後、飛び石作戦で補給のないまま置き去りとされ、その窮乏生活は筆舌に尽くし難い物が有った事と想像します。 マーシャル諸島はどの島も珊瑚に覆われ、土という物が無く、自給しようにも畑の開墾が出来ない、川が無いので飲み水の確保も出来ない、と言う話を聞いた事が有ります。潜水艦による補給等、あったのですか? 敵上陸に対する備えはいかがな状況だったのでしょう? 空襲の頻度は? 原住民との交流はどの程度有ったのでしょうか? 玉音はどのような中で聞かれたのですか? またその後の武装解除の行われ方、復員方法は? 戦犯事件の有無は? 戦後、訪ねてみたいと思われたことは有りますか? それから私はイマイチ陸戦隊の名称が良く解っていません。第○根拠地隊と、佐○特、横○特と呼び分けたシステムは? 華やかな海戦、空戦にも勿論興味は有りますが、沖波さんの父上の様な方のお話にも、非常に興味が有ります。お父上のお暇な時で結構ですので、是非お尋ねして頂きたく思っております。宜しく御願いいたします。
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