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■志賀フリーク高橋 |
■1999年12月07日 火曜日 15時57分55秒 |
12月8日にを迎えるに当たり、例によって志賀元少佐よりお聞きしたお話です。 あの映画は意外な処で史実に忠実だった様で、まず一番機の発艦シーン。発艦直後、飛行甲板より機体が沈み、東野英二郎演ずる南雲長官以下、一瞬息を飲むシーンが有りますよね。カタパルト等ない日本の空母では、正にあのシーンは忠実なる再現だった様です。増して当日は非常に波が荒れ、ローリングで艦首が沈んだ時に発艦のタイミングが重なれば、それこそ海面に激突の可能性も心配される状況だったそうです。しかし、いざ発艦となると皆、勇む心で誰も気にとめた者はいなかった様だったとの事。「因みに加賀は一番速度が遅いので、加賀一番機の僕が一番厳しい条件だったと思うんですけどね・・・」 志賀さんはそう言って少し照れていらっしゃいました。実際、第一次攻撃隊全機飛行甲板に整列すると、一番機の前面には残り40m程度しか飛行甲板は残されていない訳ですから、本当に腕と度胸を兼ね備えていなければならなかったんでしょうね。 次に編隊が登る朝日を背景に、田村高広演ずる淵田隊長が、「見てみい! 軍艦旗や!」と叫ぶシーン。全くの実話だったそうで、志賀さん曰く、「僕は天佑神助を確信しました。皆も機内ではしゃいでいる様でした。」との事。単なる演出効果を狙っただけのシーンと思っていましたが、あの日真珠湾上空に殺到した男達にとって、非常にインパクトの有る思い出となっていた様です。 次にカフク岬を過ぎたあたりで、民間飛行学校の複葉機を追い抜いて行くシーンが有りましたね。あれも実話だそうです。但し、志賀さんのお話によると、映画と違うのはあの機を撃墜してしまった者がおり、帰艦後「ありゃ民間機だぞ・・・」と、一揉め有ったそうです。 そしていよいよ空襲のシーン。志賀さんの編隊は上空に敵機のいない事を確認後、当初の作戦通り、フォード島飛行場を銃撃に向かうと、なんとそこには初めて見る例のB−17! 「坂井が自分の本の中で、B−17を初めて撃墜したのは自分だと言ってる様ですが、ならば初めて地上撃破したのは僕らですよ。」 志賀さんは自分の手柄話の後は、必ず照れる、ちょっと可愛いところの有るお爺さんです。 「でもあの時、僕の不注意で突っ込みすぎましてね。対空砲火で未帰還機を出してしまいました。あれは僕の責任です・・・」 そして志賀さんのお話の結びは、いつもこうなってしまいます。 志賀さん個人のご意見として、あの日第二派攻撃を行わなかった事を どう思われますか、と言う私の質問に対し、「我々は良く飼いならされたシェパードに過ぎません。行けと言われれば黙っていく。行くなと言われれば座っておる。ただそれだけです。」と、シビレルお言葉。 「ただ、攻撃目標に関する事前打ち合わせは何度もわれましたが、一度たりとも海軍工廠、重油タンクの名が上がった事は有りませんでした。けれど第二次攻撃隊の帰還後、まだそこが無傷と聞いて、一同顔を見合わせたのは事実です。」 この戦争では後にも幾度となく、作戦目的の通達不徹底、不明確による、取り返しのつかないミスを繰り返していますが、初日にして起きてしまっていたのですね・・・
皆さんの周りにも、12月8日を印象深く心に刻んでいらっしゃる方は数多いと思います。我々が体験出来なかったあの日の思い出を、軍民問わずお聞きした事の有る方、おしえて頂けませんか?
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